鎌倉期の原野から、笠原水道・笠原新田、そして茨城県庁を擁する現代まで──三百年余の笠原町の歩みをたどります。
1. 中世〜近世初頭の「笠原」と地名の由来
古い歴史を持つ「笠原」の地: 笠原という名称は近世の新田開発によって突如生まれたものではなく、鎌倉時代末期の延慶2年(1309年)の『吉田神社文書』にも「吉田・笠原社御遷宮事」として登場するなど、もとは吉田村の一帯に含まれる広大な原野・社領の総称として古くから存在していました。
水戸城下を潤す「笠原水道」の誕生: 寛文2年(1662年)、水戸藩第2代藩主・徳川光圀は、水戸城下の下市地区(飲料水に恵まれず水不足に悩んでいた地域)の住民を救うため、笠原の豊かな湧水群を水源とする上水道の敷設を命じました。これが日本屈指の上水道とされる「笠原水道」です。これにより、笠原は単なる荒野・農村を超えて、藩の城下町をインフラの面から支える生命線としての重要地となりました。
2. 笠原新田の創設と「武士(馬廻り)による開拓」
藩営新田としての開発経緯: もともとは吉田村の広大な荒野であったこの地は、寛文年間(1661年〜1673年)頃から本格的な開拓が開始されました。その後、正保年間(1644年〜1648年)以降に吉田村から分立して別邑(独立した村)となり、「笠原新田」と称されるようになりました。
武士(馬廻り)の入植という特異な属性: 一般的な新田開発とは異なり、笠原新田においては、水戸藩士の次男・三男(家督を継げず部屋住みであった者たち)約60人が「御馬廻り(おうままわり)」に任じられ、この地に配置されて開拓にあたったという大きな特徴があります。武士身分でありながら自らクワを執って荒野を切り拓き、土着して農地を経営するという、水戸藩特有の郷士・藩士対策と食料増産が一体となった政策的な入植でした。
村の規模と地理的広がり: 『新編常陸國誌』によれば、村の規模は東西が約30町(約3.27km)、南北が約29町余(約3.16km)に及び、内部は「上組」「中組」「下組」の3つの組(集落)に組織されていました。また、元禄期の記録における村高(石高)は210石5斗2升4合、戸数は約40戸であり、武士層の入植によって開拓された小規模ながらも堅実な新田村落として定着していました。その後、天保13年(1842年)の記録でも石高は変わらず、田畑の広さは約25町歩に拡大し、近郊農村として水戸城下へ野菜や薪炭などの物資を供給する役割を担いました。
3. 寺社と梵鐘にまつわる歴史
信仰の拠り所: 村内には、子育て・安産の神として信仰された「笠原明神(後に子安神社)」が鎮座し、祭事は吉田村の神主(圷家)が司っていました。また、天台宗薬王院の末寺である「不勧院(漱石山銀河寺)」が置かれました。
梵鐘の銘文と年号の考察: 寺の縁起を伝える鐘の銘文には不動明王堂の修造などが記されていますが、史料上の「貞享19年」という表記は貞享が5年までであるため誤記(あるいは享保19年などの誤り)と見られます。実際に鐘の修造・落成が享保13年(1728年)に行われた記録があることなどから、当時の過酷な開拓・生活のなかで寺社が再建されていった様子がうかがえます。
4. 明治維新から昭和の純農村時代へ
町村制の施行と緑岡村への編入: 明治維新を経て、明治22年(1889年)の町村制施行に伴い、笠原新田は周辺の千波村、見川村、見和村、小吹村、平須村などと合併して東茨城郡緑岡村が発足しました。これにより、行政上の大字として「笠原」が設置されました。
戦後の変遷と水戸市への統合: 長らく緑岡村の大字として、豊かな田畑と雑木林、湧水が織りなす典型的な近郊農業地帯であり続けましたが、昭和27年(1952年)4月1日に緑岡村が水戸市に編入されたことに伴い、水戸市笠原町となりました。昭和30年代以降は、水戸市の人口増加に伴うベッドタウンとしての宅地化の波が徐々に押し寄せ始めます。
5. 茨城県庁の移転による「政治・行政の中心地」への劇的な変貌
新・県庁舎の移転(1999年): かつて水戸市三の丸にあった手狭で老朽化した茨城県庁舎は、都市機能の分散や交通渋滞の緩和、21世紀の広域行政拠点としての要請を受け、平成11年(1999年)に緑岡地区(かつての関東林木育種場あと地)へ大規模に移転しました。
現代の姿: 県庁移転を契機に、周辺一帯は大規模な土地区画整理事業と道路網の整備が急ピッチで進められました。かつての江戸時代の原野「笠原新田」から昭和の静かな農村風景を経ていまや当時の面影は完全に消え去り、威容を誇る高層の茨城県庁舎を中心にした政治・経済・行政の中心地へと劇的な変貌を遂げ現在に至っています。
国・県の庁舎やマンション、オフィスビル、大規模商業施設などが整然と立ち並ぶ周囲には戸建て住宅がひしめき、一見すると新興住宅地が突然出現したかの様な状況となっています。
しかし300年以上の歴史の中にこそ笠原町は生きているのです。